2018年5月24日木曜日

なぜ「縦に速いサッカー」がこうも忌み嫌われるのか

表題の前に、まずは日本人のサッカー観について語らせていただく。
日本人のサッカー観は「キャプテン翼」を起点としている。そこに異論がある人は少ないだろう。
「キャプ翼」は基本的に(多数の魅力ある選手はいるものの)「天才とその他」のチームが「天才とその他」のチームと戦う漫画である。
天才がゴールを決め、天才が味方を動かし、天才で試合に勝つ。そこにカタルシスを見、憧れる。
みんな翼のようにクロスバーにボールを当て、日向のように袖を捲り、若林と同じ帽子を被った。
日本人の心の奥底にサッカーは一人の天才の力で勝つという意識が染み込んでいる。

話は変わって商売の話。
メディアは基本的に大衆をサッカーに興味がない、わからない、としている。
さらにサッカーの本質の面白さを伝えたとしても理解できないとしてその行動を放棄している。
そこで、無知蒙昧な愚民にどうすればサッカーに興味を持たせることができるのか、日本サッカーの使徒たるメディア様は考えた。

「スターシステム」である。(この場合手塚治虫的な意味ではない。念の為)

ここで「キャプ翼」と繋がる。
才能を持った選手がいたら、チームを勝たせる天才として持て囃し、ヒーローとして祀り上げる。バカにも伝わる、わかりやすい日本サッカーのアイコンとして。

さらに耳障りのいい言葉をメディアはみつける。
「ファンタジスタ」
私個人にとって、この呼称はある一人のみを指すのだが、メディアは魅力的な呼び名を殊更強調する。
日本代表を勝たせるのは大空翼であり、ファンタジスタであり、我らのヒーローなのだ。
その結果、本田と香川は監督を解任させ、中田は旅に出、中村俊輔はW杯に落選し、前園は髪を染めた。

閑話休題。(最初から逸れていたが)
「縦に速いサッカー」が嫌われる理由。
それは、ここまで長々と説明したような、ヒーローが活躍しない(しにくい)戦い方だから。
相手の受ける態勢が整っていないうちに、攻め込んでゴールを奪う、なんてことをヒーローはしない。万全の相手を前に華麗なテクニックで倒すことこそを美徳とするのだ。

そもそも一般的な「縦に速い」とはなにか。
下手すりゃ中盤省略して最終ラインから相手の裏、もしくはターゲットFW目掛けて蹴りまくることが全てだと思ってるのではないか。
(もしそうならそれは発信側の情報不足もあるが、更には伝える側の怠慢と、受け取る側の無知の極みである)
であればなおさらヒーローの出番は無くなると考える。
それは日本サッカーにとって許されないのだ。
だから華麗なパスサッカーとやらで待ち構えた相手を崩すことに価値を見出し、ゴールすること、勝利することは二の次になる。
憧れの元になるバルセロナにしても、上っ面のパスの部分のみを美味しくいただこうとして、その実その下地にある守備の部分については目を瞑っている。

また話が逸れた。
そもそもメディアがサッカーの本質を伝えるということを怠っているため、「縦に速いサッカー」がどういうものかわからないままなんとなく「つまらないサッカー」としてとらえられているのではないだろうか。

そういったわけだから、メディアにとって「縦に速いサッカー」は都合が悪い。
欧州の戦術だとかそういうことには知らんふりをきめ、ただただ「日本人のサッカー」を喧伝していく。
イタリアやブラジルなどと違い、「自分たちのサッカー」がそのまま世界で通じるとか通じないとかもはやそういうことはどうでもいいのだ。
中には下手したら本気で通じると思っている人がいるのかもしれないが、それはかなりおめでたいと言わざるを得ない。

結論としては
私たちが作り上げた日本サッカーのヒーローが活躍できないから。
ということになる。

(細かい戦術のことなどは省いて、ほとんど印象論だけで書いております。ご了承ください。戦術レベルでも本田香川が試合に出れない要因になっているのは皆さんご存じのとおり)

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